吾妻神社の起源は、日本武尊が東征の際、相模の走水から上総に渡ろうとした時、海が荒れていたので弟橘姫が日本武尊の難に代わろうと海神に祈って海中に身を投じたところ、海が鎮まり、日本武尊は海難を回避し、無事走水の海を渡りきったという伝説がある。その後日譚として、海神に身を捧げて海を鎮めた弟橘姫の櫛が、富津市岩瀬の海岸に漂着したのを見つけた人たちが、馬の背に弟橘姫の遺品の櫛を載せて吾妻山にお祀りしたのが起こりといわれる。 吾妻神社の祭礼は、この伝承を再現し弟橘姫をお祭りするためとされ、祭りに馬は欠かせないことが「馬だし神事」のある理由だとも伝えている。
(出所:東京湾岸祭礼報告)
2003年(平成15年)7月の輿解体修理時の写真。輿台座の中央に「吾妻神社 御輿壹具再建」と記述があり、再建されたのは明治五壬申稔(西暦1872年)八月と明記。
その頃の地名は木更津縣管轄所 天羽郡大和田村となっている。
昭和17年〜20年は太平洋戦争のため、輿は綺麗に飾っても、輿の宮出は行わず、「武運長久祈願」の看板を掲げて、住民で徴兵された地元の若者の無事帰還を祈った。
30年くらい前の吾妻神社例大祭の動画を拝聴しました。
絹の課役は、ちょうすけさんと、ひょうえむさんが務めました^^